タイのデジタル経済社会省(MDES)が2024年に開始した「クラウドファーストポリシー」が、2025年6月現在で具体的な成果を見せ始めている。政府機関のIT予算配分がクラウドサービスにシフトし、220の政府省庁で75,000の仮想マシンがクラウド移行を予定する大規模プロジェクトが進行中だ。政策効果により、タイのクラウド市場は2025年に670億バーツ規模に達し、データセンターサービス市場も8%成長が見込まれている。
この政策転換により、AWS、Microsoft、Alibaba Cloud、Huawei Cloudといった主要クラウドプロバイダーがタイへの大規模投資を相次いで発表。国内企業INETも研究開発投資を強化し、タイの宇宙産業発展を支える基盤整備が急速に進んでいる。一方で、人材不足や調達プロセスの複雑さといった課題も浮き彫りになっており、政府は包括的な対策を講じている。
政策の制度化が完了、実行段階へ
クラウドファーストポリシーの制度的基盤は2024年11月に確立された。デジタル政府開発委員会が公共部門のクラウド管理枠組みを承認し、デジタル政府開発庁(DGA)が実行機関として指定された。同時に「クラウドファースト政策委員会」も設立され、政策の具体的な移行を監督する体制が整った。
DGAが策定したガイドラインは、パブリッククラウドの優先利用、クラウドネイティブ設計の採用、カスタマイズの最小化など、明確な原則を示している。特に注目すべきは、従量課金制に対応した新しい予算編成メカニズムの導入だ。2026会計年度以降、クラウドプロジェクトの予算配分には専用の仕組みが適用される。
データ分類についても詳細な基準が設けられた。公式データ、保護されたデータ、高度に保護されたデータの3段階に分類し、それぞれに適したセキュリティ制御とクラウドの種類を決定する仕組みが確立されている。
政府機関の予算配分に変化
政策の具体的な効果は、政府機関の予算配分に現れている。2025会計年度以降、各機関はオンプレミスサーバーからクラウドベースのリソースへの予算シフトを進めている。法務省は特に高い準備状況を示しており、クラウド関連予算の配分で先行している。
この変化により、政府のITインフラ関連費用は30%から50%の削減が目標とされている。削減された予算は、AIプラットフォームの構築や地方レベルでのデジタル技術応用支援に再投資される予定だ。国家AIサービスプラットフォーム用の中央政府クラウド(GDCC)の構築も進められており、AI倫理やガバナンス、規制の準備も並行して行われている。
市民向けサービスでは、24時間365日利用可能なオンライン政府サービスの新設が進んでいる。災害時でもサービス継続が可能なネットワーク管理体制の構築により、公共サービスの信頼性向上が期待されている。
主要クラウドベンダーの投資攻勢
政府の明確な政策方針を受け、主要クラウドプロバイダーがタイ市場への投資を加速している。AWSは2025年1月にタイリージョン(ap-southeast-7)を開設し、15年間で50億ドルの投資を約束した。この投資により2035年までにタイのGDPを3000億バーツ以上押し上げ、10万人以上の新規雇用創出が見込まれている。
Microsoftも2024年5月にデータセンター建設計画を発表。観光業の10万人と6,000人の開発者を含むタイ人材のAIスキル向上にもコミットしている。
中国系プロバイダーも積極的だ。Alibaba Cloudは2025年5月にタイで2番目のデータセンターを開設し、AI需要の増加に対応している。同社は東南アジアを戦略的市場と位置づけ、527億ドルの世界規模拡張計画を進めている。タイのデジタル経済推進庁(depa)との提携により、「Eye for Thailand」AIマーケティングチャレンジも開始した。
Huawei Cloudは2025年5月にMDESと共同で「Huawei Cloud Summit Thailand 2025」を開催。タイで1,000以上の顧客と500以上のパートナーにサービスを提供し、主要金融機関の80%以上、主要小売業者の60%以上が同社サービスを選択している。2018年以来、55億バーツをタイのクラウドインフラに投資し、3つのローカルアベイラビリティゾーンを設置した。
国内プロバイダーも研究開発を強化
国内クラウドプロバイダーのINETは、2025年第1四半期に前年同期比21.46%成長の7億2921万バーツの収益を達成した。2025年の収益は32億バーツ(前年比27%増)と予測されている。
同社は海外からの技術輸入を減らすため、クラウドコンピューティングの研究開発に積極投資している。タクシン大学との協力協定も締結し、デジタルスキル開発と次世代人材育成に取り組んでいる。2025年6月12日の「GOV Cloud 2025」イベントにも参加し、タイのクラウドサービスプロバイダーとしての役割を強調した。
True IDCや、Gulf、Singtel、AISの合弁事業であるGSAも、データセンターおよびクラウドサービス市場における重要な国内投資家として位置づけられている。
課題への対応策も並行実施
政策推進の一方で、いくつかの課題も明らかになっている。最も深刻なのは人材不足だ。適切なクラウドサービスの調達知識を持つ人材や、セキュリティシステムの開発・管理ができる人材が不足している。
調達プロセスの複雑さも課題となっている。包括的なガイドラインの不足、中央価格基準の問題、従量課金制モデルに対する年間一括予算編成の難しさなどが指摘されている。政府機関向けクラウドサービスの標準契約モデルも不足している。
これらの課題に対し、政府は具体的な対策を講じている。国家サイバーセキュリティ庁(NCSA)とPalo Alto Networksの協力により、3つの政府機関でセキュリティ体制評価と能力構築を実施している。民間セクターとの連携を通じた人材育成も進められている。
ベンダーロックインの防止策も政策に明示的に組み込まれている。契約条件、データポータビリティ、独立した技術と標準の使用、明確な終了手順の定義により、特定プロバイダーへの過度な依存を回避する仕組みが整備されている。
市場成長とAI統合の加速
タイのデジタル経済は2025年までに530億ドル規模に達すると予測されており、クラウド市場の成長基盤は堅固だ。AI導入が金融分野での顔認証、顧客サービスのチャットボット、製造業の自動化など様々な分野で加速している。
Eコマースの成長とモバイルデータ利用量の増加(月間80GB)も、クラウドサービス需要を押し上げている。タイの組織の55%が利益向上のためにデジタルイノベーションに依存し、76%が持続可能性のためにAIやIoTなどの技術を不可欠と考えている。
Huawei Cloudが「クラウドネイティブ」から「AIネイティブ」へ戦略転換したように、AIはクラウドの単なる利用者ではなく、成長の根本的推進力となっている。主要ベンダーによるAIのクラウド戦略への深い統合は、将来的にクラウドプラットフォームがAI機能のために最適化されることを示している。
主要な進展の時系列
期間/日付 | 進展 | 関連情報 |
---|---|---|
2017年 | デジタル経済社会法(仏暦2560年)制定 | タイのデジタル経済発展の法的基盤を確立 |
2023年2月28日 | デジタル政府開発計画(2023-2027年)閣議承認 | デジタル政府の全体的な戦略と目標を策定 |
2023年4月10日 | デジタル政府開発計画(2023-2027年)官報掲載 | 計画の公式な発効 |
2024年 | MDESが「クラウドファーストポリシー」を主要イニシアチブとして立ち上げ | 公共部門のクラウド利用を推進する政策の開始 |
2024年半ば | 「クラウドファースト政策委員会」設立 | 政策の具体的な移行を監督するための委員会を設置 |
2024年11月15日 | クラウドファーストポリシーに基づく公共部門のクラウド管理枠組み承認 | 政策の実行ガイドラインが承認される |
2025年1月7日 | AWSがタイリージョン(ap-southeast-7)を開設 | タイ国内でのAWSサービス提供を開始 |
2025年4月29日 | AWS Summit Bangkok 2025開催 | AWSのタイにおける10周年を記念するイベント |
2025年5月14日 | Alibaba Cloudとdepaが「Eye for Thailand」プログラムを発表 | AIを活用したデジタルクリエイティビティの促進 |
2025年5月 | Alibaba Cloudがタイで2番目のデータセンターを開設 | AI需要の増加に対応し、インフラを強化 |
2025年5月29日 | Huawei CloudがMDESと協力し「Huawei Cloud Summit Thailand 2025」を開催 | タイのASEANにおけるAIハブ化を加速 |
2025年6月12日 | INETが「GOV Cloud 2025」イベントに参加 | タイのクラウドサービスプロバイダーとしての役割を強調 |
2025年6月現在 | 政府機関のクラウド利用意向が高まり、2025年度以降の予算配分がクラウドにシフト | クラウドファースト政策の具体的な影響が予算に現れる |
地域デジタルハブへの道筋
クラウドファーストポリシーは、タイを「ASEANのAIハブ」および「地域のクラウドハブ」にするという政府の明確な目標を支える基盤政策として位置づけられている。政策の制度化完了、主要ベンダーの大規模投資、国内企業の研究開発強化により、この目標実現への道筋が見えてきた。
タイの電力供給に30%以上の高い予備容量があることも、データセンター投資にとって魅力的な要素となっている。カシコンリサーチセンターの分析では、タイは今後もデータセンター投資を継続的に誘致できると予測されている。
人材不足や調達プロセスの課題は残るものの、政府の包括的な対策と民間セクターとの連携により、これらの障壁は段階的に解決されると期待される。クラウドファーストポリシーの成功は、タイのデジタル経済全体の競争力向上と、地域におけるデジタルリーダーシップの確立に直結する重要な取り組みとなっている。